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東京高等裁判所 昭和45年(う)1129号 判決 1972年4月12日

主文

一  原判決中被告人らに関する部分を破棄する。

二  被告人内田透を懲役二年に、被告人山田和雄を懲役一年一〇月に、被告人戸谷篤男、同緒方星生を各懲役一年六月に、

それぞれ処する。

三  原審における各未決勾留日数中、被告人内田透に対し二七〇日を、被告人戸谷篤男に対し二六〇日を、被告人山田和雄、同緒方星生に対し各二一〇日をそれぞれ右各本刑に算入する。

四  但し、被告人全員に対し、この裁判確定の日から三年間右各刑の執行を猶予する。

五  原審における訴訟費用の各一一分の一づつを各被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、被告人ら作成名義の控訴趣意書(各控訴趣意補充書は、いずれも期限後の提出にかかるものであるから、判断の対象としない。)に、これに対する答弁は、検事松本卓矣作成名義の答弁書に、それぞれ記載してあるとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対して当裁判所は、つぎのとおり判断する。

さて、論旨は多岐にわたつているが、控訴理由としてみるときは、控訴趣意書第四章結論において述べられているとおり、要するに原審訴訟手続の法令(憲法を含む。)違反を主張するに帰するものであるところ、そのすべてにつき理由がないとの結論に達したが、以下のとおり、論旨を整序、要約したうえ、個々的に判断を示すこととする。

一、本件グループ別審理方式の違法を主張する点(第一章第一節ないし第三節、第八節、第二章、第三章)について。

論旨は、まず、本件公訴は被告人ごとになされ、原審はこれを併合のうえ、いわゆるグループ別審理方式により審判したものであるところ、本件はいわゆる東大事件の一環であつて、被告人、弁護人側において東大闘争の過程および全体的状況を立証するためには、いわゆる統一公判という審理方式以外には方法はないので、原審のとつた審理方式は、刑訴法三一三条一項に違反し、憲法三七条により認められた被告人らの防禦権、とくに証人反対尋問権および弁護人による弁護権の適切な行使を妨げ、ひいて被告人の迅速な裁判を受ける権利をも奪う結果となつたなどと主張するものである。

よつて審案するに、関係資料によれば、東京地方裁判所におけるいわゆる東大事件の審理方式につき、全被告人を同一法廷に集めるという、いわゆる統一公判の方式が採用されず、被告人を一〇名前後のグループに分け、各グループを各部において分担するという、いわゆるグループ別あるいは分割審理方式が採用され、本件被告人らに対してもこれが適用されたものであることは、所論のとおりである。そこで、本件のような複数被告人の共犯関係にある事案に対する審理の併合、分離に関する関係法規をみてみるに、所論も援用する刑訴法三一三条一項は、「裁判所は、適当と認めるときは、検察官、被告人若しくは弁護人の請求により又は職権で、決定を以て、弁論を分離し若しくは併合……することができる。」と規定しているのであつて、被告人側の請求のあつたときは、必ず弁論を併合しなければならないものとはしておらず、そのかぎりにおいて、弁論の併合を裁判所の合目的的な裁量事項としている趣旨を看取するにかたくなく、しかも、同条二項が、「……被告人の権利を保障するため必要があるときは、……決定を以て弁論を分離しなければならない」としていることと対比して考えてみると、弁論を併合するよりも分離する方が被告人の利益保護にかなつているとする法の趣旨も優に窺われるところである。もつとも、このことは、刑事裁判というものが、個々の被告人の罪責の有無、程度を判定するという目的を有するものである以上、あえて明文の規定を要するまでもない一般原則であるともいえるであろう。もとより、かような一般論が本件東大裁判にもそのままあてはまるか、否かについては、種々の角度からの慎重な検討を必要とするであろう。けだし、本件は、その背景、動機、態様、起訴人員数等において、これまでに類を見ない特異性をもつているのであつて、その審理方式についても特段の配慮を要するものがあると考えられるからである。そして、この点について、論旨は、被告人の防禦権、弁護人の弁護権を全うするには、統一公判方式以外にはあり得ないとするのであるが、所論を考慮に入れたうえ、原審訴訟記録を検討してみるに、原審が、被告人側の請求を却けて、いわゆるグループ別審理方式をとつたことには何ら違法、不当の廉は存しないものというべきである。その理由は、つぎのとおりである。

(一)  数百人の被告人を一堂に集めるという審理方式は、まずこれに適した法廷を求めることに難点があるといわなければならず、被告人らは既設の法廷以外の場所を便宜使用するか、特設すれば足りるとするが、そのような場所は、もはや従来の観念における「法廷」と呼べるものではない。また、刑事裁判というものは、とくにとりたてていうまでもなく、検察官、被告人、弁護人を立ち会わせたうえ、証拠調、弁論等の手続によつて、公訴事実についての被告人の刑責の有無、程度を明らかにすることを目的とするものであるが、裁判官の能力にも限界がある以上、このような多人数の被告人につき常時単一の法廷において審理することにより、右目的の達成を期することは著しく困難であるといわざるを得ないのである。それに、本件程に被告人の人数がふえれば、それだけ、身柄の戒護、訴訟指揮、法廷警察等本来の公判審理による心証形成以外のことに裁判官の注意力がそがれる結果となり、ひいては訴訟の遅延をきたし、被告人側にも不利益を醸すのではないかとも考えられるところであつて、原審が同様の危虞を抱いたとしても、十分に首肯されるところである。

(二)  もつとも、原審のようなグループ別審理方式をとると、被告人側の希望するような審理上の目的が達成されないこととなるというのであれば問題であろうが、本件公訴事実の内容に照らすに、数百人の全被告人につき、どうしても合一確定をしなければ、被告人らの権利を著しく侵害することとなるというような事実上の争点が含まれているものとはとうてい認められないのであつて、被告人毎の個別審理あるいは本件のようなグループ別審理方式によつても、本件犯罪事実の有無ないし背景事実に関する立証活動、弁護活動は十分果たすことができるものと考えられ、現に、本件東大紛争に関し、かような個別審理あるいはグループ別審理方式によつて、相当数の事件が落着を見ており、また現に第一審公判の行なわれているものもあることは、当裁判所に顕著な事実であつて、かような審理方式上のことがらにつき、被告人の権利擁護の観点から問題視すべきものがあるとは、とうてい解されないところである。

なお、論旨は、原審が本件審理方式を採用したことに関連し、東京地方裁判所刑事部が東大事件の分割審理方針案を作成、決定する過程において、同刑事部に設けられている裁定合議委員会が、検察庁からの情報提供に基づき、公訴事実、自白および分離希望の有無、所属大学、保釈の有無、逮捕歴、派閥等に従つて被告人らを分類し、グループ分けしたという事実があり、このことはいわゆる予断排除の原則に反するもので、刑訴法二五六条六項に違反し、ひいて憲法三一条、三七条に違反するというところがあるが、本件を審理した原審裁判官が所論の裁定合議委員会の構成員であつたことを窺うに足りる資料はないから、所論はすでにこの点において前提を欠き失当というのほかはない。

論旨は理由がない。

二、「違法な訴訟指揮」と題し、原審が被告人、弁護人の主張、発言を許容しなかつたことを憲法三七条二項、三項に違反し、また、傍聴人を退廷させたことを憲法八二条一項違反であると主張する点(第一章第四節、第八節)について。

論旨は、論難の対象である原審訴訟手続を具体的に指摘していないので、判断の限りでないのであるが(もつとも、第五節の序論とみられないでもない。)、念のため原審訴訟記録を検討してみるに、原審が所論のような措置をとつたことが認定され得ないではない。

しかしながら、被告人らは、自らも述べているように、いわゆる統一公判以外の審理方式は認めないとして、適法適式に開かれている原審公判期日の審理に応じない意思、態度を、かたくなに表明していたもので、被告人らの行なおうした主張、発言も右態度からみて原審における本件についての実質的な審理と関係のあるものとは認めがたい事情にあたつたことが窺われ、結局被告人らは裁判を受ける権利を放棄していたものと認めざるを得ないのであつて、かような主張、発言をする被告人ら、これに同調する傍聴人らに対し、原審裁判長が刑訴法二八八条、二九四条、二九五条、三四一条、裁判所法七一条等により認められている権限を行使し、発言の制限、不当な行状をした者の退廷、さらには退廷を命じられた被告人の陳述を聴かないでする判決言渡し等をしたからといつて、右手続には何ら違法の点はないし、また、所論のような違憲の問題を生ずる余地もない。とくに、不当な行状をしたため、傍聴人が退廷させられることがあつても、全面的、無差別的に傍聴禁止の処置をとつたことが窺われない以上、憲法八二条一項の保障する裁判公開の原則が破られたことにならないことは当然である。

論旨は理由がない。

三、「原審訴訟指揮の違法」と題し、原審が公判期日に出頭しなかつた勾留被告人らに対し刑訴法二八六条の二を、退廷させられた被告人らに対し同法三四一条を、それぞれ適用したことの違法を主張する点(第一章第五節、第八節)について。

原審訴訟記録によれば、原審が第二回(昭和四四年七月三一日)、第三回(同年九月三日)、第四回(同月八日)、第五回(同月一〇日)、第六回(同月二五日)、第七回(同年一〇月一三日)の各公判期日において被告人ら全員に対し、第八回(同月二七日)の公判期日において被告人山田、同戸谷、同内田に対し、第九回(同年一二月三日)の公判期日において被告人戸谷、同内田に対し、第一〇回(同月一八日)の公判期日において被告人内田に対し、それぞれ刑訴法二八六条の二を適用したことのほか、第九回公判期日において被告人山田に対し、第一〇回公判期日において被告人山田、同戸谷、同緒方に対し、第一一回(昭和四五年一月二二日)、第一二回(同年二月五日)、第一三回(同月二三日)、第一四回(同年三月二四日)の各公判期日において被告人ら全員に対し、それぞれ同法三四一条に準拠したうえ、手続を進めたものであることが認められる。所論は、右各手続の違法、すなわち、刑訴法二八六条の二、三四一条の各要件の欠如を主張するものであるが、以上の原審各公判期日および被告人ごとに関係資料を仔細に検討してみるに、右各要件に欠けるものはいささかも存しないことを認めるに十分であつて、原審訴訟手続に所論のような違法があるとはいえない。

論旨は理由がない。

四、「同一期日数法廷の開廷」と題し、東京地方裁判所が同一日時に重複法廷を開いたことを、弁護人の弁護権の行使を不可能ならしめたもので、憲法三七条三項違反であると主張する点(第一章第六節、第八節)について。

関係資料によれば、所論のとおり、東京地方裁判所において同じ日にいわゆる東大事件に関する公判が二つ以上開かれた事実を認めることができるが、各被告人ごとに多数の弁護人が選任されていたことが、記録上明らかである以上、弁護人らにおいて真実公判に応ずる意思があれば、それぞれ手分けして各法廷に出廷することは、必ずしも不可能ではなかつたと認められるのみならず、もし弁護人全員の出廷を必要とするような事情があれば、その事由を疎明して裁判所の公判期日の変更を請求すべきであり(刑訴規則一七九条の四参照)、かような請求があつたのに原審がこれを却下し、その却下が相当でないと認められる場合に始めて、弁護権制限の問題を生ずるものと解されるところ、記録上、かような具体的な請求が原審になされた形跡は窺うに由なく、かえつて、一部弁護人が出廷しても裁判所の期日指定の非難に終始するだけであつたことが明らかであり、しかも、被告人、弁護人らは、いわゆる統一公判以外の方式による審判は受けられないと主張して譲らず、そもそも原審の公判審理に応ずる意思、態度のなかつたことも既述のとおりであるので、かりに原審の指定した公判期日に、他に期日推定された東大事件の公判が行なわれていたとしても、原審の公判期日の指定が被告人らの弁護人選任権を制限し、憲法三七条三項に違反したものであるなどというのは、全く筋違いの非難であるといわざるを得ない。

論旨は理由がない。

五、「公判調書の閲覧問題」と題し、原審が本件と密接に関連した他の事件の係属裁判所に公判調書を閲覧させたことを憲法七六条、三七条一項違反であると主張する点(第一章第七節)について。

よつて、審案するに、論旨も右閲覧をしたのは東京地方裁判所刑事第一二部であるといつているのであり、記録上も、原裁判所が右閲覧をしたという事実はこれを窺うに由ないところであるから、所論はすでにその前提において失当であり採用のかぎりでない。

論旨は理由がない。

以上説明のとおり、被告人らの論旨はすべて理由がないのであるが、原判決の被告人らに対する量刑を維持すべきか否かについては、本件事案の特異性、とくに本件発生に至る経緯、個々の被告人が本件に参加した事情および本件において果した役割等のほか、原判決後における被告人らの行状等、個々の被告人にかかる情状に照らし、慎重な検討を要するものがあると認められるので、以下のとおり、職権をもつて、判断を示すこととする。

まず、原判決がいわゆる東大紛争の経過として適法に確定したところを要約すると、つぎのとおりである。すなわち、いわゆる東大紛争は、昭和四三年一月二九日、東京大学医学部において、医師研修制度並びに学部内の組織、制度の改革等の要求を掲げた学生が無期限ストライキに突入したことに端を発し、ついで同年三月医学部当局がいわゆる春見医局長事件関係者として多数の医学部学生、研修生を退学処分等に付したため、医学部学生らを主体とする学生らが右処分の撤回等を要求し、同年六月には東京大学大講堂(いわゆる安田講堂、以下単に安田講堂という。)を実力で占拠、封鎖したため、大学当局は警察官を導入して、これを排除したが、これにより同大学一般学生の痛憤を招き、ここに紛争は全学的規模に拡大し、同年七月には再び安田講堂が占拠、封鎖され、東大闘争全学共闘会議(いわゆる東大全共闘、以下単に東大全共闘という。)が全学的な組織として結成され、その指導のもとに、同月一五日大学当局に対し、いわゆる七項目要求をつきつけ、これに対し、大学当局は、同年八月一〇日主として三項目からなる告示を掲げて応じたが、全学各学部学生はこれを不満として同月九日から相次いでストライキに突入し、遂に同年一一月大河内一男学長は辞職し、学長事務取扱として加藤一郎教授が就任した。そして、このころから、東大全共闘といわゆる民青系の東大民主化行動委員会とのあいだに、闘争の主導権等をめぐる対立、拮抗関係が発生、表面化するに至り、互いに外部から応援学生らの参加を求め、東大構内において角材、石塊などで武装、集結して乱闘を繰り返す等反目の度をたかめ、いわゆる内ゲバが頻発するに及んで、一東大の学園紛争にとどまらない様相を帯び始めた。そこで、加藤学長事務取扱は、紛争解決のため大学側の基本的見解を提示したり、全学集会を提案したりして努力を重ね、一方、学生側にも、留年と入試のタイム・リミットが切迫するに伴ない、紛争収拾の気運が生じ、前記の民青系学生も大学当局の提案に応じ、昭和四四年一月一〇日秩父宮ラグビー場で、いわゆる七学部集会が開かれ、東大全共闘の要求にかかる七項目を大学側が殆ど承認するという内容の一〇項目の確認書が作成されるに至り、これを契機として、医学部、文学部のストライキが順次解除された。しかるに、東大全共闘はあくまでも大学当局と抗争する方針を変えず、安田講堂を占拠、封鎖し、「入試粉砕、授業再開粉砕、一切の権力に対する抵抗」をスローガンとし、闘争収拾の動きを一切打破するという態度を固め、同月一二日ころから法、文、工学部の建物を封鎖し、同月一五日を期して、「東大闘争勝利、全国学園闘争勝利労学総決起集会」を企図し、全国から同調者である学生活動家の参集を求め、他方、民青系の学生もまたこれに相応じて同派学生の全国動員を掛け、ここに両派学生は、それぞれ東大本郷構内に入り、石塊、火災びん、角材、鉄パルプ等の兇器も搬入されて、学内は一触即発の緊迫した状況を呈するに至つた。かくて、大学当局は、同月一三日「衝突阻止を訴える」声明を発し、翌一四日、本郷構内への立入り禁止の掲示をしたが、東大全共闘側はこれに応ぜず、同月一五日予定どおり前記総決起集会を安田講堂前で開き、大学正門から安田講堂に至る両側の建物の占拠態勢を固め、建物の内部を破壊し、建物内の什器、備品等でバリケードを築き、大学側の警察官導入を予期してこれと闘うため部隊編成を行ない、かつ、右各建物を固守する準備を整えた。ここにおいて、加藤学長事務取扱は、同月一六日大学管理上の措置として、所轄警察署長に対し警察官の出動を要請し、かつ、同月一七日、電話によつて、安田講堂内の東大全共闘責任者等に対し本郷構内からの退去を要求した。しかし、被告人らを含む安田講堂内に入つていた東大全共闘の学生らは、右要求に応ぜず、原判示の各犯行を敢行するに至つたというのである。

そして、本件被告人らが本件抗争に参加した経緯として、原判決が判示するところによれば、

被告人山田は、当時東京農業大学(以下、単に農大という。)三年生で、昭和四三年秋結成された日本マルクス主義学生同盟中核派系の同大学反戦会議議長をしていたものであるが、前記の東大全共闘の呼び掛けに応じ、同反戦会議のメンバーであつた一〇名位の者ともに、昭和四四年一月一四日夜安田講堂に参集し、中核派第二軍団第八小隊の小隊長として、安田講堂四階の中央会議室の防禦を担当したというものであり、

被告人内田、同緒方は、当時いずれも東京工業大学(以下、単に工大という。)の三年生で、中核派系の工大学友会の執行委員をしていたもの、被告人戸谷は、工大四年生であつたものであるところ、被告人内田は、他の工大学生である原審相被告人ら数名とともに同月一五日の前記総決起集会に参加して安田講堂に入り、第二軍団第五小隊の小隊長となり、安田講堂二階厚生掛室のバリケードの強化等に従事し、被告人緒方は、同月一七日安田講堂に入り、中核派本部の雑務に従事し、被告人戸谷は、被告人内田と同じく、前記総決起集会に参加して安田講堂に入り、被告人内田の小隊に編入され、同被告人と同じ任務に従事していたというものである。

ところで、原判決は、本件被告人らと原判示の兇器準備集合、建造物侵入、公務執行妨害の各犯行を共にした原審相被告人田村敏夫(当時農大四年生)、同斉藤担(当時農大三年生で、前記反戦会議議長代理兼会計係をしていたもの)、同柳井潔(当時工大二年生)、鷺馨(当時工大三年生)、同小宮山建(当時工大三年生)の五名に対しては、本件被告人らに対する同一の判決において、いずれも懲役刑の執行を猶予する旨言い渡しているのであるが、かような量刑上の差異を生ずるに至つた理由につき、原判決の説示するところをみるに、

被告人山田、同内田は、本件犯行に際しいずれも小隊長として上部指導者からの指示等を他の被告人らに伝達し、また現場で同人らを指揮したものであつて、本件の主謀者、指導者とは認められないものの、本件組織的集団犯罪にかんがみ、その刑責は殊に重大であるといわなければならないし、さらに、

被告人内田は昭和四〇年以来都公安条例違反や公務執行妨害罪、兇器準備集合罪等で過去一〇回の、また被告人山田は昭和四二年に神奈川県公安条例違反等で一回の逮捕歴を有するものであることを不利益に斟酌しなければならず、

被告人戸谷は昭和四〇年に都公安条例違反で一回の逮捕歴を有するものであることを不利益に斟酌しなければならず、

被告人緒方は昭和四一年以来公務執行妨害罪等で四回の逮捕歴を有し、かつ、昭和四三年三月の王子事件で起訴され、公判係属中に本件に加担したことを不利益に斟酌されなければならず、

かつまた、被告人四名全員につき、原裁判所が職権で取り調べた被告人らの父兄らからの裁判所宛ての書簡等によつても、我が子を想う親の情愛は感ぜられるものの、右被告人らの本件違法行為についての反省の態度を窺うことはできず今後の家庭内での指導監督も著しく困難なものと認められること、またその他の生活社会環境も従前と大差ないものと考えられることのほか、法廷におけるかたくなな態度等も合わせ考えると、再犯の虞れは相当高度のものと認められるので、現状では刑の執行を猶予するのは相当でないというものである。

他方、刑の執行を猶予せられた原審相被告人らにかかる原説示をみるに、

被告人田村は時計塔屋上で自らも投石を行なつたものであるが、法廷における態度は他の被告人らと若干異なり、第一三回公判期日には静かに在廷して審理に応じ、父親の証言によれば、本件につき反省している状況も窺われるし、同被告人が農大反戦会議のメンバーでなかつたことも考慮すると、再犯の可能性は殆どないと認められるというのであり、

被告人斉藤は農大反戦会議の議長代理兼会計係で、農大グループの中心メンバーであり、時計台からかなり激しく投石行為をしたものであるが、すでに検察官調書中で、集団の中にあつては自己が押し流されないよう注意し、自分自身で情況を把握し、自分のなすべきことはここまでだとの考えを持ちたい旨述べ、父親の証言によつても、本件を反省していることが窺われ、家庭環境も良好で、今後の更生を期待しうる状況にあると考えられるというものであり、

被告人柳井については、同被告人の検察官調書等によると、同被告人は警察官の放水から窓のバリケードを守るためこれを押えるなどしていたもので、証拠上、投石、火災びん投擲などの行為に出たものとは認めがたく、また、父親の証言によつても、今後の更生を十分期待しうると認められるというのであり、

被告人鷺については、同被告人の検察官調書等によると、同被告人が火災びんを投げたとは認められないこと、また父親の証言によると、事件後父親に対し今後非合法な行為は絶対しない旨述べており、本件に対する反省の態度が窺われ、再犯の可能性は少ないものと認められるというのであり、

被告人小宮山については、同被告人の公判廷における態度は他の被告人らと若干異なり、反省の様子も見え、父親の証言では、事件後反省していることが認められるし、家庭環境も良好で、再犯の可能性も殆どなく、今後の更生が十分期待されるというにあることが明らかである(もつとも、原判決は、情状および刑の量定事由の項において、原審相被告人らを含む全被告人の関係において、本件犯行の動機、被告人らの安田講堂に集結した動機、被告人らの刑事責任の重大性、犯行後の態度、被告人らの本件犯罪の実行行為にかかる犯情についても詳細説示しており、これらの説示事項の中には、本件被告人ら四名につき刑の執行を猶予するのを相当でないとする原判決の判断の根拠となる個所が存するのであるが、上記引用の、刑の執行を猶予された原審相被告人らにかかる説示部分と対比、考察してみても、また、後述の当裁判所の全体的考察からしても、以上の説示事項を余り重要視し過ぎることは相当でないと考えられる。)。

さて、以上の各説示において明らかに看取されることは、刑の執行を猶予するものとそうでないものとを分つ規準として、被告人らの学生団体への所属の有無、所属している場合の地位の程度、ひいて安田講堂内における役割の軽重、前歴の有無、法廷における態度等から窺われる反省の有無、家庭環境の良否、家族の被告人の更生に対する熱意ないし協力態度の有無等が考慮されているということで、このこと自体には何ら異議を挾むべき筋合ではないが、さればといつて、本件被告人ら四名につき、原審相被告人五名と異なり、刑の執行を猶予するのを相当でないとする結論が導かれるものであるとすることには、多分に躊躇を感ぜしめるものがあるとせざるを得ないのである(もとより、本件全体の犯情に重きを置き、原審相被告人らに対する量刑を軽しとして、本件被告人らに対する量刑判断を、これと別個独立になすべきであるとする立場もあり得ようが、憲法一四条の精神に照らすまでもなく、衡平という観点から、とうてい左袒しがたいところである。)。当裁判所は、結局において本件被告人ら全員について、刑の執行を猶予するのを相当とするとの判断に達したが、その理由を、以下のとおり、全体的考察と個別的考察とに分けて、示すこととする。

一、全体的考察

まず、原判決が本件情状および刑の量定事由として説示するところを検討してみるに、要するに、本件犯行の動機としては、東大全共闘が昭和四四年一月一〇日のいわゆる七学部集会においてその要求にかかる七項目を殆ど充足する一〇項目の確認書が成立、作成されたのにかかわらず、一般学生および民青系学生と対立し、闘争の主導権を主張し、東京大学の象徴的建物である安田講堂を占拠、封鎖して立てこもり、東大闘争を東大そのものの個別的改良闘争にとどめることなく、東大当局のみならず政府をも含めた国家権力への抵抗、対決へと拡大させたもので、結局国家権力への挑戦を契機としたというべきものであり、このことは、原判決がとくに「被告人らの安田講堂に集結した動機」の項において挙示する、原審相被告人斉藤、同鷺、同柳井の各検察官調書、白取薫の検察官調書、原裁判所の証人水木芳行に対する尋問調書等により優に認定できるところであり、原判決のいうとおり、本件被告人らにおいても、その意識の深浅に差こそあれ、右のような動機を有していたものであることは、推認するにかたくないところである。しかし、ここで考慮を要することがらは、以上の本件動機というものは、本件を一個の社会事象として眺める場合に必要とされる視点であつて、本件被告人らの刑事責任の程度を判断するにあたつては、さらに、法律上の視点すなわち、刑法がかような事象をどのような犯罪類型として捉えているかという観点からも、検討を要するものがあることは当然である。原判決は、「被告人らの刑事責任の重大性」の項において、縷々論及しているが、結局において、本件規模のほか、計画性、組織性、発生結果の重大性等を強調し、社会的に法秩序無視の多大な悪影響を及ぼした点において、被告人らの刑事責任は極めて重大であるとするにとどまつているものと解される。しかしながら、被告人らの本件犯罪とされているところのものは、兇器準備集合のほか、共犯による建造物侵入および公務執行妨害の各事実であるところ、本件のようないわゆる多衆犯ないし集団犯罪に対しては、刑法は、国家の法益を侵害するものとして、内乱罪、社会の法益を侵害するものとして、騒擾罪を、それぞれ規定しており、しかも、その七七条、一〇六条をみると、犯人の犯行関与の形態ないし演じた役割等に応じて、主導的な者にはとくに重く、そうでない者には、それぞれ軽い刑が定められていることが明らかである。そして、本件を内乱罪の場合に比することは論外としても、その規模、態様等の点においては、大学構内において発生した事案であるとはいえ、社会的法益である公共の平穏に悪影響がなかつたとはいえず、その限度では一応騒擾罪的性格をもつていたといつても必ずしも過言ではないと考えられる。ところで、刑法一〇六条によれば、多衆聚合して暴行又は脅迫をなした者のうち、首魁は一年以上一〇年以下の懲役又は禁錮に処せられるが、他人を指揮し又は他人に率先して勢を助けた者は六月以上七年以下の懲役又は禁錮に、附和随行した者は二、五〇〇円以下の罰金に、それぞれ処せられるにとどまつている。このことは、いうまでもなく、騒擾罪の多衆犯罪としての性格、すなわち、首魁とされる首謀者ないし主導者は、いわゆる群集心理を利用して自らの究極の目的を遂行しようとするもので、犯情が悪質、重大であるのに対して、附和随行するに過ぎない者は、まさに群集心理に駆られたもので、いわば一過性の犯罪ともみられるということにかんがみ、犯人の個別的刑事責任を問題とする刑法の目的からすれば、犯情が軽いとされていることによるものであり、かような多衆犯罪の性格は、本罪と他の犯罪との関係につき、個々の犯行関与者の具体的行為が、同時に他の法益を侵害するようなことがあつても、それが極端なものでないかぎり(例えば、殺人、放火等でなく、公務執行妨害や建造物損壊程度のものであれば)、本罪に吸収されるとする見解(その当否はともかくとして)にも現われているということができる。そこで、本件に立ち帰つて考えてみるに、すでに引用した原判示からも明らかなように、被告人山田は、当時農大生で、昭和四四年一月一四日夜他の農大生らとともに安田講堂に参集したものであり、被告人内田、同緒方、同戸谷は、当時いずれも工大生でうち、内田、戸谷は、他の工大生とともに同月一五日、緒方は同月一七日、それぞれ安田講堂に入つたというものであつて、本件被告人らすべてにつき、右入構以前すでに東大全共闘と何らかの積極的なかかわり合いを持つていたと窺うに足りる資料はなく、従つて、本件全体に対する加担の態様の点においては、単なる附和随行者にはとどまらないとしても、これを甚しく超えるほどのものではないと認めるのが相当であると考えられる。なるほど、本件被告人らのうち、被告人山田は、当時農大の反戦会議々長をしていた関係もあつてか、本件に際しては中核派第二軍団第八小隊の小隊長の地位にあり、従つて、原判決のいうように、上部指導者からの指示等を他の被告人らに伝達し、現場で同人らを指揮したこともあり得たであろうが、その所属大学のほか、前記の安田講堂参集の事情等からすれば、原判決が「本件組織的犯罪に鑑み、その刑責は殊に重大であるといわなければならない」とする結論には、直ちに左袒しがたいものがあるとせざるを得ない(原判決も、同被告人が本件の主謀者、指導者であつたとは認められないとしている。)。このことは、当時工大の学友会執行委員をしており、本件に際し第二軍団第五小隊の小隊長の地位にあつた被告人内田についても同断である。なお原判決は、被告人山田につき、他の農大グループの友人とともに、投石用の石塊を運搬し、また、屋上から講堂正面玄関付近の警察部隊に対し、多数の投石、火災びん投擲を行なつたものであるとし、他の被告人らに比し、積極的、かつ、具体的な公務執行妨害の所為に出たものであるとの趣旨を判示するところがあるが、上記のような、本件多衆犯罪の特質にかんがみれば、個々の被告人につき、以上の程度の具体的行動を量刑上とくに不利益に斟酌することは、必ずしも相当でないものと考えられる。

これを要するに、本件被告人らに対する量刑判断にあたり、本件に対する全体的評価の点で、原判決とは見解を異にするものが少くないので、すでにこれだけでも原判決の量刑はその儘これを維持しがたいのであるが、適正な量刑をするためには、個々の被告人の個別的事情を斟酌する必要のあることは勿論であり、原判決もこれに触れているので、つぎに、個別的考察に移ることとする。

二、個別的考察

(一)  被告人内田について。

同被告人が、さきに引用した原説示のとおり、一〇回に及ぶ逮捕歴を有するものであることは、関係資料により明らかである。すなわち、同被告人には、昭和四〇年一一月いわゆる東京都公安条例違反の嫌疑により警察に検挙せられ、同月九日東京家庭裁判所において審判不開始となつたのを始めとして、同四一年中に同種事案により不処分、不開始各一回、同四二年中に概ね同種の事案により起訴猶予処分三回、同四三年中に同じく不起訴処分四回の各前歴があるのであつて、本件被告人らのうちでは、もつとも活溌に反権力闘争に従事していたものであることを推認するにかたくないところである。しかしながら、以上のように、多数回にわたりながら、起訴されるものが一件もなかつたということは、他面、各犯行の態様が重大でないか、犯罪の成否にも疑わしいものがあつたのではないかと推測させるものがあるのであつて、被告人の刑責を案ずるにあたつて決して無視し得ないことがらではあるが、本件につき被告人を実刑に結びつける一要素となるものとすることは相当でないというべきであろう。つぎに、同被告人についても、原判決が、家庭内での指導監督が著しく困難なものと認められることを不利益な情状として挙げていることは、さきに引用したとおりであり、なるほど、原審記録によれば、原裁判所は、昭和四四年一一月一三日被告人の父親である内田清志を岡山地方裁判所に召喚、尋問する決定をして現地に臨んだが、同人が入院中であつたことや、同人が原裁判所に対し、尋問に応ずれば、息子である被告人の方針に反して裁判所に協力することとなるので、息子に有利になることなら述べてやりたいと思うが、さしあたり、息子の考えに協力してやりたいという考えを述べたため、結局同人に対する証人尋問は行なわれず、また、同人から原裁判所に対する上申書の提出等のこともなされなかつたことが窺われるので、右原説示があながち当たつていないともいえないところではあるが、本件被告人らのような年齢に達している青年に対して親の監督能力に期待するということは無理な面もあるのであり(なお、本件事案の特質に照らし、家庭環境の良否を重視し過ぎるのも問題である。)、かつまた、原裁判所は以上の事情を被告人の再犯の虞れに結びつく一要素と考えていた節が窺われるところ、幸いにして今日に至るまで何らかの同種事犯を起したとの形跡は認められないので、以上の家庭事情を被告人に不利益な情状として斟酌することも相当でないと考えられる。なお、原判決は本件被告人らの原審公判廷におけるかたくなな態度をも不利益な情状として考慮していることが明らかであるところ、右事実は、被告人らの控訴趣意に対する判断において説示したとおり、原審訴訟記録により明認されるところであつて、法治国家における青年学生の態度としては甚だ遺憾であると思料されるのであるけれども、原判決の「犯行後の態度」の項における説示によつて明らかなとおり、このことは、刑の執行を猶予せられた原審相被告人についてもいえることであつて、本件被告人らに対し、とくに不利益な情状として重視するのは当らないものといわなければならない。

(二)  被告人山田について。

同被告人が昭和四二年六月二〇日いわゆる神奈川県公安条例違反、道路交通法違反により警察に検挙せられ、同年八月五日横浜家庭裁判所において審判不開始となつた前歴を有することは、関係資料により認められるところである。しかしながら、一回の前歴といえば、原審で刑の執行を猶予せられた相被告人小宮山健も同様ではないかと窺われる資料(原審相被告人柳井潔の昭和四四年二月一五日付検察官調書中の、第三〇五号小宮山健の写真についての、「第三〇五号の人は、前にも一度学生運動で捕まつたことのある小宮山さんらしいということは言えます」との供述記載)も存在するのであつて、とくに重視するまでのこともないと考えられる。つぎに、同被告人についても、原判決は家庭内での指導監督が著しく困難なものと認められることを同種の再犯の虞れに結びつく一要素として挙げているのであるが、同被告人の家庭事情については、同被告人の実父山田俊彦名義で、実はその母親であるハツによつて作成されている保釈許可申請書、上申書等によつて、極めて詳細、かつ、具体的に看取されるものがあるところ、これらによると、本人の父親(大正四年一月五日生れ)は船員であり、しかも鹿児島市に居を定めている関係で、東京に遊学中の本人を監督することは殆ど不可能であり、他方、母親は本人の実母死亡後、本人が満四才のとき父親の許に嫁いできたものであるが、本人の父方の祖父が老衰臥床の状態にあるので、その看護等に明け暮れ、これまた上京することは思うに任せない事情にあつたことが認められるのであつて、同被告人についても親の監護能力を云々することは酷な見方であるといわざるを得ないのである。そして、同被告人も、幸いにして今日に至るまで何らかの同種事犯を起したとの形跡は存しないのみならず、かえつて、学業半ばにして、妻帯のうえ、稼動していることが窺われるのである。なお、原審公判廷におけるかたくなな態度を本件量刑上重視し過ぎることの不当なことは、被告人内田と同断である。

(三)  被告人戸谷について。

同被告人が昭和四〇年一一月九日いわゆる東京都公安条例違反により警察に検挙され、同月一五日東京家庭裁判所において審判不開始となつたことは、関係資料によつて認められるところである。しかしながら、被告人山田について述べたと同様、かような一回の前歴を本件量刑上とくに不利益な情状として重視することは必ずしも相当ではないといわざるを得ない。つぎに、同被告人の家庭事情については、原裁判所の実母戸谷婦美子に対する審問調書によると、同人は三人きようだいの末子で姉が二人あり、父親は昭和四二年に死亡し、母親も高血圧の持病があるので、未だ嫁がないでいる姉たちの働きで生計を樹てているというのであつて、東京都内において親子同居しているとはいうものの、これまた、親の監護能力を云々するのは当たらないものといわざるを得ない。また、同被告人も幸いにして今日に至るまで何らかの同種事犯を起したとの形跡は窺われないのみならず、かえつて、学業半ばにして就職し、現在は母親の許に在つて生活しているものと認められるのである。なお、原審公判廷におけるかたくなな態度を本件量刑上重視し過ぎることの当たらないことは、被人内田、同山田と同断である。

(四)  被告人緒方について。

同被告人が昭和四一年九月七日横須賀港における米国の原子力潜水鑑寄港反対運動に関連し、公務執行妨害の嫌疑により警察に検挙せられ、同年一一月二一日横浜家庭裁判所において審判不開始となつたのを始めとして、同四三年一月二一日、佐世保港におけるエンタープライス号寄港反対デモに参加した際、公務執行妨害、道路交通法違反の嫌疑により、逮捕、勾留されたが、処分を受けず、釈放され、同年三月二八日いわゆる王子事件に関連し、兇器準備集合、公務執行妨害の嫌疑により警察に検挙され、東京地方裁判所に起訴されて、同四五年六月二九日同裁判所において懲役五月、二年間刑の執行猶予等の判決言渡しを受け、現在同事件は、被告人側の控訴により東京高等裁判所に係属中であるほか、同四三年四月二六日にも東京都内における国際反戦デーのデモに参加した際、警察に逮捕されたが、勾留を請求されるに至らないで釈放されたことのあることは、関係資料により明認されるところである。従つて、同被告人は、本件に加担した当時においては、原判決もいうとおり、王子事件の関係で、東京地方裁判所に公判係属中の身であつたわけで、一応他の被告人らにはみられない悪質性があるともいえないではないが、いわゆる王子事件自体、犯行の動機においては斟酌すべきものがなかつたとはいえない案件と考えられるし、かつまた、同被告人の昭和四四年二月四日付検察官調書によると、同被告人が安田講堂に入つたのち、退去要求が出されて、退去すべきか、止まつて抵抗すべきかの選択に迷つた際の心境として、「特に私の様に何回か逮捕され現に公判中である者は、今度逮捕されれば簡単には帰れななくなると思いました。……しかし東工大の部屋には、一年生の学生も居て帰らずにとどまると云つて居り、又学年は私と一緒ですがそれまで一度もデモに参加した事のない者が居て意外に思い、その人から話しを聞いて見ると普段は、口に出してあれこれ云わないこの人が、実際にはよくものを考えて安田講堂内に居残る気持を固めているのを知り心に迷いのあつた私は、何か勇気づけられる様な気持になりました。又講堂内を散歩している時会つた高校の先輩からも残ろうと云われ、私は、皆んなと一緒に講堂内に居続ける事に腹を決めました」と述べているところからみると、いわば引くに引けなかつた青年の被告人の心情も理解できないわけではなく、結局、以上の前歴も本件量刑を実刑に結びつける一要素としなければならないものではないと考えられる。つぎに、同被告人の家庭事情については、実父緒方孝一の原審裁判官に対する上申書、被告人の検察官調書等により明らかであるところ、これらによれば、被告人の本籍は肩書のそれのとおり、福岡市内にあり、父母、兄の家族は同所に住んでいるが、本人は昭和四一年鹿児島市のラサール高校卒業と同時に工大に入学したもので、親の教育方針の影響もあり、高校時代からすでに物事を真面目に考え過ぎる傾向があり、それが大学入学と同時に更に拍車を掛けられたとみられるのであつて、父母の膝下を離れて一人東京に出てきた学生の身として、先輩、同輩の影響下に、漸次学生運動に没頭していつたものと認められる。しかし、同被告人も幸いにして今日に至るまで何らかの同種事犯を起したとの形跡は存しないのみならず、かえつて、学業半ばにして、妻帯のうえ、稼働しているものと認めることができるのである。なお、原審公判廷におけるかたくなな態度を本件量刑上重視し過ぎることの相当でないことは、被告人内田、同山田、同戸谷と同断である。

以上、全体的、個別的見地から、それぞれ考察を加えてきたが、当裁判所の結論を一言にしていえば、刑の執行を猶予するか否かの判断においては、本件被告人ら四名と原審においてすでに刑の執行を猶予せられた相被告人ら五名とのあいだには、一方を実刑、他方を執行猶予とするだけの、説得力ある理由を見出しがたいということである。なお、さらにつけ加えれば、本件被告人らは、原判決において本刑に算入された各未決勾留日数をみるだけでも、内田は二七〇日、戸谷は二六〇日、山田、緒方はいずれも二一〇日と、原審執行猶予組の相被告人らよりも長期にわたつて未決の拘束状態に置かれていたことが明らかであつて(もとより、かような事態を招いた原由としては、被告人側にも大いに責められるべきべきもののあることは認めねばならないが)、その間、法廷においては統一公判を叫んで反省の態度がみられなかつたとはいうものの、この勾留は、相当程度の刑事制裁が加えられたのと同じ結果になつたともいえなくはないところである。かつまた、原審執行猶予組(いずれも、被告人らと在籍大学を同じくした友人達である。)については、原審の寛大な処置により、あるいは復学し、さらには、卒業、就職、結婚して、社会人として正常な生活を営んでいる者が殆んどであろうと想像されるのにひかきかえ、本件被告人らは、原審の実刑判決によつて、復学、卒業、就職、いずれも思うに任せず、すでに結婚している者もあるのに、将来の生活方針の樹立に行き悩んでいるであろうことは、推測するにかたくないのである。そして、原判決が、「東京大学およびその他の大学が封建的、権威主義的残滓を有し種々改革さるべき点の存することは世人の首肯するところで、東大全共闘の……問題提起を契機として大学制度改革の真剣な討議がなされうるに至つた点についてはこれを積極的に評価するものであり、東京大学以外の大学生である被告人らが東大紛争を被告人ら自身の問題としてとらえた点も了解し得ないわけではない」とすることも、一理ある見方といつてよいであろう。してみれば、とにかく、本件以後は、いずれも同種の事犯を起していないものと認められる被告人らに対して、原審の実刑を維持することは、まことに忍び得ないところであるとせざるを得ない。かくて、本件の量刑としては、原判決の言い渡した各刑期は維持するとしても、それぞれ相当期間刑の執行を猶予し、春秋に富む被告人ら全員が実社会において再起し、堅実な道を歩みうる可能性が与えられるようにすることが、刑政の目的にそう所以であると考えられる。

原判決は量刑過重であつて、破棄を免れない。

よつて、職権をもつて、刑訴法三九七条、三八一条により、原判決中被告人らに関する部分を破棄したうえ、同法四〇〇条但書の規定に従い、さらに、自らつぎのとおり判決する。

原判決が本件被告人らにつき認定した事実に原判決挙示の法令を適用し、各刑期の範囲内で被告人らをそれぞれ主文第二項掲記の刑に処し、刑法二一条により原審の各未決勾留日数を主文第三項のとおり右各本刑に算入し、被告人全員に対し、前記各情状により、同法二五条一項に従い、この裁判確定の日から三年間右各刑の執行を猶予し、原審の訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文に従い、主文末項のとおり被告人らに負担させることとして、主文のとおり判決をする。

なお、原審における本件審理については、原審訴訟記録に明らかなとおり、異常、異例ともいえる事態が生じたのであるが、当審公判廷においても、これと同様、常識では考えられないような事態が発生したため、控訴審としても、先例がないような処置に出ざるを得ないこともあつたので、これらの点につき、若干の説明を付け加えて置く。

一、第一回(昭和四五年一二月二日)公判期日において、弁護人側の控訴趣意の陳述につき、いわゆる擬制陳述の処置をとつたことについて。

この点については、同期日にかかる公判調書の記載により明らかなとおり、弁護人側は、公判冒頭から、法廷警備態勢が過剰であるとして、警察官要請の理由の説明を求め、これに対する裁判長の回答を不満として、訴訟指揮に対する異議を申し立て、これが棄却されるや、裁判官全員の忌避を申し立て、右申立はいわゆる簡易却下されたものであるが、その間、裁判長は、右異議申立以前の段階から、弁護人側に対し控訴趣意の陳述を促し、十分にその機会を与えていたのに、弁護人側はいわゆる合議(意見調整)をしたのちも、右陳述をすることがなかつたので、裁判長としては、つぎの手続に進むほかないものとして、やむなく検察官の答弁を求め、同期日の手続を終了したものである。いうまでもなく、刑事控訴審における通常の手続は、弁護人あるいは検察官の控訴趣意の陳述をもつて始まり、これによつて審判の対象である争点が確定し、その後、これに対する相手方の答弁、双方の事実取調の請求と、手続が進行していくのであつて、本件経過に明らかなように、何ら正当な理由がないのに(前記忌避申立の簡易却下決定に対する異議申立が棄却されたことは記録上明らかである。)、弁護人が控訴趣意の陳述を肯んじないということは、控訴申立人の弁護人の態度として、全く理解に苦しむところであつて、かような場合には、控訴趣意の撤回があつたものと扱うべきであるとする見解もあり得ようが、それはともかくとして、それまでの訴訟の経過のほか、本件事案の性質、被告人らの置かれている立場、境遇等にかんがみ、とにかく審理の促進をはかることが被告人らの客観的利益となるものと信ずる当裁判所としては、以上の措置に出ざるを得なかつたものであつて、何ら非難されるべきいわれはないものと考える。

二、弁護人側の事実取調請求をすべて却下したことについて。

弁護人側は、第四回(昭和四六年九月六日)公判期日において、

「証拠申請書(その一」に基づき、人証、書証の各取調請求をしているが、右書面を一見すれば明らかであるように、人証については、関連性がないと認められるものが相当数あり、また、一応関連性があると認めらられるものについても、その住所、氏名、職業を掲げるだけで、立証趣旨は具体的に明らかにされておらず(もつとも、控訴趣意との関係で大凡の見当の付くものもないではなく、また、後記の「立証計画書」によつて一応明らかにされているとはいえなくもないが)、かつまた、後記のとおり、殆んど原審で取り調べられた書証により証明可能な事項にかかるものであつて、いずれもとくに取調の必要は認められず、書証についても、一応立証趣旨が掲げられているものの、控訴趣意との関連において、取り調べる必要があると認められるものは何一つ存在しないのである。とくに、公判立会検事が前記公判期日において弁護人の取調請求に同意したところの、「東大関係事件の取り扱いに関する基本方針」、「分割表、審理案について」「東大関係事件のグループ別併合案の作成経過について」と各題する三通の書面については、原審第一三回(昭和四五年二月二三日)公判期日において、職権により、東大紛争、東大事件、東大裁判に関し意見、論説、主張がなされていることの立証として(非供述証拠として)取り調べられた、田畑書店発行の東大闘争弁護団編「東大裁判」と題する書籍中の、一二一頁、一三〇頁、一五二頁中に、それぞれ、該当すると認められるものが存在するのであつて、重ねて取り調べるまでもないものであると考えられる。また、そのほかの、弁護人側請求の書証についても、すでに右書籍中に掲げられているものと重複するものが少なくないことは、両者を一見のうえ、比較、対照すれば、まことに明白であつて、当裁判所としては、もともとその必要がないというにとどまらず、重複証拠であるという観点からも不相当であるとして、すべての書証取調請求を却下することとしたものである。のみならず、弁護人側は、右事実取調請求に先立ち、「立証計画書」なるものを当裁判所に提出しているが(受理は、昭和四六年三月三一日)、これと前記「証拠申請書(その一)」とを比較、検討すると、人証については、前者の方が物部長興ら四名多いだけで、他はすべて共通しており、書証についても、前者の方が「東大関係事件被告人の勾留中における懲罰事件記録」が一つ多いだけで、他はすべて共通しているのであつて(なお、前者の方には、ほかに、「東大裁判以降の集団被告事件((いわゆる一〇・一一月事件))にみられる東京地裁の審理方式について―とくに防禦権・弁護権侵害の実態」にかかるものとして、一二通の書証が掲げられているが、もとより本件とは何ら関係のないものである。)、当裁判所としては、弁護人側の事実取調請求に対する採否を決するにあたつては、十分に検討する機会があつたことを付言しておく。

(栗本一夫 小川泉 藤井一雄)

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